前回の記事 までで、8~9世紀頃にグレゴリオ聖歌が成立・発展し、ポリフォニーの原点であるオルガヌム というものがあらわれた、という事を知った。
8世紀以前の西洋音楽
●8世紀~5世紀
8世紀よりも以前の聖歌がどのように展開してたかについては史料が乏しく、学説は定まっていない。
しかし グレゴリオ聖歌が公式聖歌になる8世紀 以前は、各地で地域ごとにキリスト教聖歌があった。
南フランスのガリア聖歌と呼ばれる聖歌が、スペインではモザラベ聖歌が、現在に残っているグレゴリオ聖歌以前からの 地方聖歌として有名だ。
しかし、なにぶん長い年月を経ているため、当時のものと全く同じではないと考えられている。
Mosabrabic Missa with Mosarabic chant/ San Miguel, Terrassa
また、西洋音楽のルーツとして これまで西方教会(ローマ・カトリック)のキリスト教を中心に見てきたが、これ以前の時代は キリスト教のルーツである東方教会へも目を移していく必要がありそうだ。
初期キリスト教の音楽
●5世紀~3世紀
キリスト教のルーツは 東方(オリエント) にあるので、古代のキリスト教音楽には 現在のような西洋的な要素は本来は無かったはず である。
3世紀頃までの 初期キリスト教 の時代を通じて、キリスト教の中心は主として 地中海の東方(オリエント) にあった。
シリア聖歌やアルメニア聖歌など、それぞれ地方色をもつ典礼聖歌の伝統がオリエント各地で生まれ、形づくられていった。
西方キリスト教会の音楽は、初期の段階では これらの東方の伝統に負うものであった。
(出典:コトバンク)
東西に分かれる前の 初期キリスト教 の姿は、西方教会よりも むしろ東方教会によく残されている と言われている。
なぜなら、東方教会では西方教会のように「公式聖歌をグレゴリオ聖歌で統一する」などの、組織的な聖歌の整理は行われなかったからだ。東方教会の聖歌とは
3~5世紀ごろ、アルメニア、シリア、エジプト、エチオピア、ビザンツ帝国で、地方の特色と結びついた聖歌ができた。
これら東方教会の聖歌は、アレキサンドリア、アンティオキア、エルサレムなど 初代キリスト教都市を中心として 徐々に発展していき、いま現在も歌われている。
主な東方教会の聖歌
アルメニア教会: 4世紀以来の歴史を持つ。古アルメニア語で歌われる
シリア教会: 西シリア。シリア語はアラム語の一方言。アラム語はイエスが生前話していた言語
コプト教会: 南エジプト。アラビア語で歌われる
エチオピア教会: アビシニア教会。ゲエズ語で歌われる
ビザンティン聖歌
Armenian Liturgical Chant (アルメニア聖歌)
しかし 先にも書いたが、現在のものが実に1500年以上も前である 当時の姿を正しく伝えているとは とうてい考えにくく、アラブやトルコなどの支配的な民族の影響もあり、長年の間に大きく変化したと考えられる。
そしてやはり単旋律(モノフォニー)であり、複旋律(ポリフォニー) は使われないようである。
なぜか?
それには、東方教会の厳しい教えが関係していたのだ。
たとえば、初期キリスト教を代表する神学者の一人、アレクサンドリアのクレメンス は
「半音階的な旋法、楽器の使用、ポリフォニーを禁止する (Paedagogus II. 4) 」
など、初期キリスト教の聖職者たちは さまざまな聖歌に関する禁令を発したのである。
東方正教会の教えでは、聖歌は "祈り" であり、"音楽" とはみなされない。
聖歌を歌うのは音楽家ではなく聖職者のみであり、音程や旋律よりもその歌詞、つまり祈りの言葉が最も重要であった。
最も大事なのは主の言葉であり、主を賛美することである。
そのための祈りの言葉なので、歌声や旋律を美しいと思ってしまうことはいけないこと なのである。
だから歌声は美しくあってはいけないし、旋律は耳を楽しませるものであってはいけない。
なので楽器は使わない方がいいし、神聖な神を賛美するお言葉を勝手にいじって オルガヌムやポリフォニーに作曲・編曲するなんてもってのほかなのである。
聖歌の音楽的要素とは、歌詞となる祈祷文の理解と記憶を助け、礼拝の流れを支えるためだけに存在するのである。
…という、このような厳格に理屈の通った教義の方針が根底にあるため、東方教会では基本的にポリフォニーは存在しなかったようだ。
グルジア聖歌
ブルがリアン・ヴォイスと共に「多声音楽の聖地」と私が勝手に読んでいるジョージア(旧グルジア)には、グルジア正教会によるグルジア聖歌がある。
グルジア正教会の聖歌(Georgian Sacred and Ritual Music )
多声聖歌であるが、西欧音楽の影響を受けて多声聖歌を形成したロシア正教会・ウクライナ正教会や、バルカン半島の諸正教会(ブルガリア正教会、セルビア正教会、ルーマニア正教会)等と違い、西欧からの影響とは関係無くポリフォニーを形成し、独自の歴史と発展を経て今日に至っている。
グルジア聖歌も含め、グルジア多声音楽はユネスコの無形文化遺産にも登録されている。(wikipedia より)
なんと、グルジア聖歌のポリフォニーは 西方教会のポリフォニー(8世紀)の影響を受けず、独自に発展した とある。
これは驚きである。民俗音楽と融合したのであろうか?
実は、ジョージアの多声音楽(ポリフォニー)は元々はコーカサスの山岳音楽として受け継がれたものである。
コーカサスの口承文芸は2500−3000 年前には生活に定着していたと言われており、ギリシアの歴史家ストラボンは紀元前 1 世紀にジョージア人の戦士が多声音楽の聖歌を歌った ことを記している。
Basiani Ensemble: Georgian Polyphony Singing - Religious Songs
ということで、【多声音楽の起源をさぐる その1】で最初に書いた、 テキストとして読んだ本 から生まれた疑問の1つ、
①この本には「紀元前の古代ギリシャから西暦800年まで、和音の歌が登場しなかった。その間およそ1000年間もの間、歌は発展しなかった」と書かれているが、果たして本当だろうか?
については、「ヨーロッパの西のはじっこのグルジアにて、紀元前1世紀からポリフォーが存在していた!」という事がわかり、この疑問は見事解消された。
しかし、西洋におけるポリフォニーの起源ならびに聖歌の起源、古代ギリシャの音楽などについてもう少し調べてみようと思う。