多声音楽の起源をさぐる 最終章【紀元前~古代文明】

中世から始まり古代ギリシャ文明を経て、ようやく紀元前まで来た。長い旅であった。
 
それでは、紀元前より前の 古代の音楽とはどのようなものなのか?
というか そもそもそれを知る事はできるのか?
 
古代ギリシャ以前にも もちろん文明はあり、そこには必ず音楽があった。
しかし音楽は時間の芸術と言われており、形に残りにくい。
 
楽器は残る。楽譜は残る。
しかし音は残らなかった。
私たちが古代の音楽を知るには、記録された文字を解読するしか 手立てはないのだ。
 
 
人類が最初に手にした楽器は笛だと言われている。
事実、発掘された最古の楽器は笛である。
(打楽器も歴史は古そうだが、原料が皮や木なので、骨を原料とする笛に比べて残りにくいのかもしれない)
 
以下、現在発見されている音楽に関する古代の遺物をいくつか年代順に列挙する。

現在発見されている最古の楽器の例

骨笛

 

●40000年前 マンモスの牙の笛、ハゲワシの骨の笛(ドイツ南部にある石器時代のホーレ・フェルス洞窟遺跡で発見)
 
●紀元前6000年頃 中国の賈湖遺跡から見つかった新石器時代の笛   (上記画像 ↑ )
 
●紀元前3000頃のメソポタミアからも、骨笛などの音楽に関する遺跡が発見されている
 
●紀元前2700~2500年頃 フルートとハープを持った大理石の像 (ギリシャ・ケロス島 / キクラデス文明)
 
 
 
世界最古の楽器と言われる「ネアンデルタール人のフルート」。
それを復元して演奏した動画がこちら ↑
 
 
 

現在発見されている最古の歌

 

以前の記事 にて、現在確認されている "世界最古の楽曲" である「セイキロスの墓碑銘」を紹介したが、次に紹介するのは 世界最古の歌 と言われているものである。

 

ウガリット

 
1950年代初頭、現在のラス・シャムラにあるシリアの古代都市ウガリット で、フルリ語の楔形記号が書かれた音楽に関する粘土板が発掘された。
 
一般に "ウガリットタブレット" と呼ばれるその粘土板の中の1つに、言葉と音楽の両方を含む完全な賛美歌の楽譜 が含まれており、保存されているものとしては世界最古のもの となっている。
 
その歌は「フルリ人の歌」と呼ばれ、紀元前1400年頃、今からおよそ3400年前の、世界最古の歌の楽譜である。
 
 

ウガリットタブレット

 

フルリ人

フルリ人の歌が見つかったウガリットの王宮への入り口。 
 
 
1972年、アン・キルマー教授(カリフォルニア大学アッシリー学部教授、バークレー・ローウィ人類学博物館学芸員)は、15年にわたる研究の末、世界最古の楽譜の一つを書き写した。
 
驚くべきことに、この石版にはハープ奏者を伴った歌手の演奏方法や、ハープの調律方法などが詳細に記されているのだ。
 
この証拠から、キルマー教授と他の音楽学者たちは、この讃美歌を実際に演奏してみた。
こちらの動画からその再現された讃美歌を聴くことができる ↓
 
 
 
 
この「フルリ人の歌」は、古代シリアの土俗神であり 月の神の妻である ニカル ( Nikkal)  への賛美歌である。
歌とハープ伴奏がくさび文字で刻まれており、なんと和声ではないかと言われている(※諸説あり)。
 
 
このような歌があったという事実は、
 
ギリシャを含む古代音楽は和声が不可能であったり存在しなかった
 
という通説を 正面からひっくり返すきっかけを作り、ヨーロッパのクラシックの起源についての概念に革命的な変化をもたらしている。   youtube 解説より)
 
 

歌の言葉

この文章の意味は非常に不明確であり、これまでに一つの解釈しか提唱されていない。
 
私は(神の玉座の)右足に鉛という形で持ってくる。
私は(浄化 ?)し、(罪の意識を)変えます。
 (一度ついた罪は)もはや覆われることもなく、変える必要もない。
生贄を捧げたことで、私は快感を覚える。

 (一旦、私が)(神)を愛したなら、彼女は心の中で私を愛してくれるだろう。
私の持っている供物は、私の罪を完全に覆ってくれるかもしれない。
ごま油 を持参すると、私のために働いてくれるかもしれません。
畏敬の念を抱いて...
                    
不妊の者を肥えさせますように。
穀物が実を結びますように。
妻である彼女は、父のもとに(子供を)産みます。
まだ子を産んでいない彼女が子を産みますように。
 

 

鉛は儀式に使われる金属である。
地下構造物からは鉛の小さな輪が発見されており、これは「冥府への通路」と解釈している。
地下構造物からは、生贄を捧げる際に油を注ぐためのものと思われる小さな容器も見つかっている。
 
(以上、こちらのHPの文章を翻訳サイトで邦訳して転載させていただきました)
 
 
 

また、こちらの動画はリチャード・ダンブリル博士が解釈したウガリットタブレットの旋律をリラ(竪琴)で演奏したものだそうだ。

こちらはかなり音楽的である。

 

 

その他の古代文明

 
ユーフラテス川とティグリス川に挟まれた現在メソポタミアと呼ばれる地域の南部が、シュメールと呼ばれるエリアである。
ここに紀元前3500年~3100年頃に都市文明が発達。
 
使った言葉が分かっている世界最古の民族シュメール人による、シュメール文明 が存在していた。
 

シュメール文明

紀元前3000頃 シュメール文明のウル王墓より出土したリラ  (wikipedia)

 

 

彼らが粘土板に記していた神話に音楽に関わる文が豊富にあった らしいのだが、それが具体的にどのような音楽だったのかは判然としていない。
 
壁画に描かれているので楽器が使われていたことは確かだが、歌に関しては おそらく存在しただろうという感じだ。
 
シュメール音楽の再現の試みもされていないようで、今後の研究が進むのを待ちたい。

 

 

古代オリエント

(オリエントと地中海世界 ©世界の歴史まっぷ)

 

その他、紀元前3000年以前にさかのぼる文明としては古代エジプト文明ミノア文明などがある。
 
ちろん儀式などで音楽が使われていた痕跡のある遺跡 (壁画など) が発見されているが、いずれもどのような音楽だったかは不明。
ポリフォニーだったかどうかは もちろんさらに不明である。
 
冒頭にも書いた通り、音楽は形に残りにくいものだからだ。
 
残念だが、これ以上の追及は難しそうである。
 
 

おわりに

 

 
最初の記事に書いた、テキストとして読んだ本 ↑  から まずはじめに抱いた疑問
 
古代ギリシャ~中世まで約1000年のあいだ、ハーモニーは発展しなかったというのは本当だろうか?
 
はどうやら本当であった。 (ただし西洋音楽に関してのみだが)
 
 
その理由を、どのサイトを見てもはっきりと明言されているものは私には見つけられなかった。
古代ギリシャにおいてすでにピタゴラスがハーモニーを発見しているのにも関わらず、だ。
これは全く不思議なことである。
 
 
素人ながら推測するのは、やはりそれは初期キリスト教の聖職者たちが聖歌への厳格な指導を行ったことに端を発し、時代が変わっても、その後もずっとそれが続いたからであろうかと思う。
 
それはきっと聖職者や支配者層にとってその方が都合がよかったからで、西洋世界においてキリスト教というものが、今の私たちが想像もつかないくらいの強い支配力、影響力を持っていたのだろうか。
 
ただそれが、8~9世紀あたりになって何故とつぜんOKになったのか、さてそれがわからない。
不思議である。
 
 
 
もう一つの疑問であった
 
②この本では 古代ギリシャ以前には まるで音楽が存在しないかのような書き方だが 絶対にそんなはずはないだろう。それでは古代ギリシャ以前の音楽はどんなものがあるのか?
 
については、このシリーズ記事を書くおかげで古代ギリシャ以前のいろいろな古い歌の記録を知れたので、とても満足している。
 
 
 
西洋音楽を中心として多声音楽の起源をさぐってみたが、もちろん世界各地の民族音楽にもポリフォニーは存在していた。
次回、番外編として西洋音楽以外のポリフォニーを紹介する。
 
最後までお読みいただき本当にどうもありがとございました。
 
 
次回はこちら ↓

hissorisekai.hatenablog.com

 
参考にさせていただいたHP
 
誠にありがとうございました!
 
 

多声音楽の起源をさぐる INDEX