富士山信仰と大生部多のこと

大生部多

 

秦河勝について調べていたら、大生部多(おおふべのおお)のことが出てきた。
 
大生部多とは
西暦644年(飛鳥時代)に駿河国富士川近辺で、”虫” をまつることで幸せになれるという教義で、古代日本史に史上はじめて登場する新興宗教の教祖だ。
その盛り上がりたるやすさまじく、人々は狂乱となり全財産を投げ出し恍惚となって富が訪れるのを待った。
その騒動は遠く当時の都である関西まで伝わったほどのものであった。
騒動を鎮圧するために畿内からわざわざ派遣され、鎮圧したのが秦河勝なのであった。
 
 
大生部多については資料が乏しく、飛鳥時代のシャーマンとしかわかっていないようだが、姓である「大生部」とは、皇族の子女たちを教育するための職業部のひとつであり、平城京木簡によるとその殆どが伊豆国田方郡吉妾郷を拠点としている。
田方郡とは現在の函南のあたりのようだ。
 
「大生部多は富士川の人」とあるが、富士川周辺の、具体的にどの辺りなのかは不明である。
 
 
 
この件に関して詳しく書かれている記事をいくつかメモしておく。
 
 
富士山と「大生部多」の話 (ふじのくにの女将 あけぼの会 より)
 
とても詳しく、読みやすい良記事。
静岡県知事川勝知事が、秦河勝の子孫だとはびっくりだ。
 
 
富士をめぐる王権のまなざし (木村淳也 著)
 
古事記」「日本書紀」などの正史において、異様なほど富士山についての記述が見当たらなく、そこには何らかの "意図" があるのではないか?という問題提起には非常に興味をそそられる。
古代富士王朝とも関連がありそうなテーマである。
後半、論点が「富士」ではなく「東国」にズレてしまったのがやや残念。
 
 
 
とても面白い記事。
まつっていたのは "虫" ではなく実は "蛇" で、富士山周辺に蛇をまつる異民族(別系統の渡来系)が住みつき、勢力が強まったものを先住の渡来系である秦氏が鎮圧しに来た、、、という推論。
ありそうです!