祇園祭と八坂神社の起源について その①

八坂神社

 

以前から気になっていた、祇園祭と八坂神社の起源について、気になったので調べてみた。
思ったよりもすごく長い記事になってしまった…。

興味のおもむくままに、深堀してみました。
よろしければお付き合い下さい。

 

 

 

八坂神社の起源は?

創建時期:2説あり

説① 西暦656年、高句麗から来日した調進副使・伊利之使主(いりしおみ)が、新羅国の牛頭山に座した素戔嗚尊山城国愛宕郡八坂郷の地に奉斎したことに始まった

説② 西暦876年、南都の僧・円如が当地にお堂を建立し、同じ年に天神祇園神祇園林に降り立ったことにはじまる。


主祭神牛頭天王(素戔嗚尊)

本地垂迹により、以下のようにあらわされている
牛頭天王素戔嗚尊薬師如来
 
 
創建説を検証する前に、まずは主祭神である牛頭天王について詳しく見てみよう。
 

牛頭天王

牛頭天王とは

釈迦ゆかりの地である祇園精舎の守護神とされるが、実際にはインド、中国、朝鮮において信仰された形跡はなく、日本独自の神である。

疫病に関する神
と見なされることが多い。

陰陽道とも関わりが深いらしいが、実際のところ詳しいことはあまり分かっていない。

 

 
なるほど。

しかし一体なぜ、牛頭天王素戔嗚尊 なのだろうか?
 
 
 
新羅の曽尸茂利(そしもり)に降臨してその地に住んだ後に日本に来た
 
と書かれている。
 
つまり素戔嗚尊とは、新羅から来た神なのだ。

また、ソシモリは ソシマリまたはソモリともいい、韓国語の牛(ソ・ソシ)、頭(モリ)にあた り、「牛頭」または「牛首」を意味し、韓国の春川、牛頭山の事だと言う。
 
 

なるほど、それで牛頭天王素戔嗚尊なのか…。

また、韓国の牛頭山では、熱病に効果のある栴檀を産したところから、この山の名を冠した神が 信仰されてきたらしい。
 
しかし、これには異説(韓国の崔俊植教授) があり、「ソシモリ・ソモリ」の「ソ・ソシ」は高くあがる とか、柱の意味があり、「モリ・マリ」は頂の意味であるに 過ぎないという。
 

とにかく、牛頭天王素戔嗚尊 from 新羅ということは納得できた。
 
それで、主祭神牛頭天王が疫病と関わりのある神だから、祇園祭は八坂神社の祭礼、ということなのかな?
 

祇園祭の起源とは

祇園祭は、869年(貞観11年)に各地で疫病が流行した際に 神泉苑で行われた御霊会 を起源とするもので、877年には祇園社で行われている。
 (注:877年は創建説②の円如が祇園にお堂を建立した翌年)
 
970年(天禄元年)ごろからは八坂神社の祭礼として毎年行われるようになった。

誰が御霊会を企画したの?

まずは、神泉苑において初の御霊会が行われたこの 貞観5年(863年)とは、どんな社会状況だったのかを軽く見てみよう。
 
この時の天皇はわずか9歳で即位した 清和天皇で、当時朝廷で権勢を誇っていた 藤原良房 が摂政となった。
実質、彼がすべてを掌握していた。

藤原良房 はこの地位に就くまでに かなりの権謀術数を駆使したと思われ、この御霊会もそのような政治的パフォーマンスのひとつであった。
 
(具体的にはおごそかな儀礼のみならず、にぎやかな歌や踊りなどに平民も参加を許可するなどし、国民の不満をそらすねらいがあったらしい)

そうした時は世が乱れることがあるためか、御霊会の翌年、西暦864年には天の怒りか ついに富士山が噴火。
 
その5年後、869年には東北の貞観地震、それにともなう貞観津波など、じつに多くの災害が起きた時であった。
 

御霊会は政治的パフォーマンスが多分にあるとは言え、実際にちまたには疫病が蔓延しており、それを鎮めるためという名目があった。
 
この御霊会で祭られた早良親王をはじめとする六柱の御霊、彼らがひどく祟ったゆえ疫病を人々にもたらしたのだ、だから鎮めるために霊をおなぐさめしなくてはならない…
という当時の社会的観念によるものだ。


こちらの論文でその点について非常に詳しく書かれている↓
file:///C:/Users/kyra/Downloads/KU-1100-20161130-04.pdf

この論文によると、古代日本において疫病の流行は8世紀ごろから非常に増えた。
 
これは、藤原京建設などにより都市ができて、人口が密集したためでもあるのだが、ここで大事なことは、古代疫病史の研究によれば、島国である日本は大陸と違って人が流動しないため、外来の病原菌に対する免疫力が非常に弱い のだという。
 
なので、基本的に疫病は日本の "外"、つまり大陸や朝鮮半島からもたらされたものなのだ。
 
すなわち、"疫病は外部から侵入してくる" という性格を強く持っている。
これが日本における疫病関連信仰の基本的な特徴だという。
 
だとしたら、疫病を退散せんがために 朝鮮半島由来の神である牛頭天王 をまつる、というのは大変理にかなっていると言えるだろう。
ここでつながるのであった。


では改めて、次回より八坂神社の創建の由来について見ていきたい。
 
次回に続く。