以前から気になっていた、祇園祭と八坂神社の起源について、気になったので調べてみた。
思ったよりもすごく長い記事になってしまった…。
興味のおもむくままに、深堀してみました。
よろしければお付き合い下さい。
八坂神社の起源は?
創建時期:2説あり
説① 西暦656年、高句麗から来日した調進副使・伊利之使主(いりしおみ)が、新羅国の牛頭山に座した素戔嗚尊を山城国愛宕郡八坂郷の地に奉斎したことに始まった
説② 西暦876年、南都の僧・円如が当地にお堂を建立し、同じ年に天神(祇園神)が祇園林に降り立ったことにはじまる。
説② 西暦876年、南都の僧・円如が当地にお堂を建立し、同じ年に天神(祇園神)が祇園林に降り立ったことにはじまる。
牛頭天王とは
釈迦ゆかりの地である祇園精舎の守護神とされるが、実際にはインド、中国、朝鮮において信仰された形跡はなく、日本独自の神である。
疫病に関する神と見なされることが多い。
陰陽道とも関わりが深いらしいが、実際のところ詳しいことはあまり分かっていない。
疫病に関する神と見なされることが多い。
陰陽道とも関わりが深いらしいが、実際のところ詳しいことはあまり分かっていない。
誰が御霊会を企画したの?
この時の天皇はわずか9歳で即位した 清和天皇で、当時朝廷で権勢を誇っていた 藤原良房 が摂政となった。
実質、彼がすべてを掌握していた。
藤原良房 はこの地位に就くまでに かなりの権謀術数を駆使したと思われ、この御霊会もそのような政治的パフォーマンスのひとつであった。
実質、彼がすべてを掌握していた。
藤原良房 はこの地位に就くまでに かなりの権謀術数を駆使したと思われ、この御霊会もそのような政治的パフォーマンスのひとつであった。
(具体的にはおごそかな儀礼のみならず、にぎやかな歌や踊りなどに平民も参加を許可するなどし、国民の不満をそらすねらいがあったらしい)
そうした時は世が乱れることがあるためか、御霊会の翌年、西暦864年には天の怒りか ついに富士山が噴火。
御霊会は政治的パフォーマンスが多分にあるとは言え、実際にちまたには疫病が蔓延しており、それを鎮めるためという名目があった。
この御霊会で祭られた早良親王をはじめとする六柱の御霊、彼らがひどく祟ったゆえ疫病を人々にもたらしたのだ、だから鎮めるために霊をおなぐさめしなくてはならない…
という当時の社会的観念によるものだ。
こちらの論文でその点について非常に詳しく書かれている↓
file:///C:/Users/kyra/Downloads/KU-1100-20161130-04.pdf
この論文によると、古代日本において疫病の流行は8世紀ごろから非常に増えた。
という当時の社会的観念によるものだ。
こちらの論文でその点について非常に詳しく書かれている↓
file:///C:/Users/kyra/Downloads/KU-1100-20161130-04.pdf
この論文によると、古代日本において疫病の流行は8世紀ごろから非常に増えた。
これは、藤原京建設などにより都市ができて、人口が密集したためでもあるのだが、ここで大事なことは、古代疫病史の研究によれば、島国である日本は大陸と違って人が流動しないため、外来の病原菌に対する免疫力が非常に弱い のだという。
なので、基本的に疫病は日本の "外"、つまり大陸や朝鮮半島からもたらされたものなのだ。
すなわち、"疫病は外部から侵入してくる" という性格を強く持っている。
これが日本における疫病関連信仰の基本的な特徴だという。
これが日本における疫病関連信仰の基本的な特徴だという。
だとしたら、疫病を退散せんがために 朝鮮半島由来の神である牛頭天王 をまつる、というのは大変理にかなっていると言えるだろう。
ここでつながるのであった。
では改めて、次回より八坂神社の創建の由来について見ていきたい。
ここでつながるのであった。
では改めて、次回より八坂神社の創建の由来について見ていきたい。
次回に続く。