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【陰陽師】岡野玲子 安倍晴明の雨乞い

漫画「陰陽師」(岡野玲子著) 
八巻に登場する安倍晴明による雨乞い”の儀の、自分のための書きおこしメモです。
 
先日、未踏だった若狭の「鵜の瀬」に行って来ましたので、併せて画像も載せておきます。
 
 

安倍晴明 天の川に行きて雨を祈ること

お話しは、安倍晴明が、侍のような男が牛を殺して川に投げ込むというシチュエーションの夢を見て、「河泊に牛を捧げよ」との霊夢によるお告げと受け取る所から始まる。
 
旱が続く京の都。
 
陰陽寮では賀茂保徳(かも の やすのり)により、神泉苑にて雨乞いの祭りである五龍祭が行われることになった。
 
安倍晴明は和琴を使い、音律から星の象意を読み取らんとする。
 
そして安倍晴明源博雅を連れ、京から離れひとり雨乞いの旅へと出立した。
 
まず向かったのは水の森、若狭。
 
 

①宝篋山のふもと、天徳寺(若狭瓜割名水公園)★

鵜の瀬

鵜の瀬1

 

鵜の瀬2

 

上の方に龍神が飛来した岩窟がある。

 

鵜の瀬3

以下、陰陽師より
 
「泰澄大師が霊地を求めども水情のないのを嘆いていたところ、南方の古木の間より頭に白蛇を頂いた龍馬が飛来した。
 
我ハ八大龍王ナリ 北天竺ノ水ヲココニ移シテ永クコノ泉二留マリ天下泰平五穀豊穣ヲ祈ルナリ モシ旱天二憂イアルコトアラバコノ泉ニテ雨ヲ祈ルベシ マタ甘水ヲ手二スクイ福徳円満ヲ祈ルベシ
 
と彼方の岩窟に入るや、四方に神光を放ち大地鳴動し、岩破れて神水湧き出した」

 


 
 
目的の瓜を手に入れ、天徳寺を辞さんとする安倍晴明の頭部に龍神の使いである蛇が依り憑く。
 
次に安倍晴明と博雅が向かったのは鵜の瀬。
 
 

②鵜の瀬 (若狭) ★

鵜の瀬4

 
以下、陰陽師より
 
博雅「この鵜の瀬というのはどういうところなのだ?晴明」
 
晴明「毎年卯の月に奈良の東大寺の二月堂でな、修二会という十一面悔過の行を行っていてな。行の半ばに二月堂の本尊、十一面観音に新しい浄化の水、霊水を捧げる。「お水取り」というのだが、その霊水はここから送られるのさ」
 
晴明「修二会をはじめたのは実忠和尚という渡来の印度僧でな。その節、諸国の神々を勧請したのだが若狭の遠敷明神は漁に時を忘れて遅参した。修二会の火と水の浄化の行の内容に喜んだ明神は遅参の詫びに、十一面観音に閼伽水を送る約束をされたのよ。その時、地中から白と黒の鵜が飛び出し、その穴から霊泉が湧き出したのさ」
 
晴明「それは若狭井と呼ばれている。その若狭井の水源がここ鵜の瀬の水中洞穴なのさ」

 


 

鵜の瀬6

 

ここが鵜の瀬の入口。
車は少し内陸方面に通り過ぎたところのに駐車スペースがあります。

 

鵜の瀬7

鳥居をくぐって階段を下ります。

 

鵜の瀬8

鳥居の脇に祠があるので、まずこちらにお参りをしました。

 

鵜の瀬9

この日は前日が大雨だったため、水量も多く濁り気味でした。

 

鵜の瀬10

この水の中に水中洞穴があるようです。よく見ると水が湧き出しています。

 

鵜の瀬11

晴明「洞穴の上の巨大な磐座、白石。この上に若狭彦神が、次いで若狭姫神が降臨したと伝えられている。二神は遠敷明神としてこの遠敷川の下流に若狭の国の一の宮として祭られている。実忠和尚はその神宮寺に一時身をおいていたのだよ…」

 

 

 

鵜の瀬12

木々に埋もれてわかりにくいですが、対岸に小さな祠があります。

 

鵜の瀬13

漫画では安倍晴明がひょいと川を越えて飛び移り、供物をささげていますが、現実には行くのは難しそうでした。。。

 

鵜の瀬14

水中洞穴付近から内陸方向を見る。

あのあずまやのあたりに給水ポイントがあります。
車で近くまで行けます。

 

鵜の瀬15

給水所の方にある神社

 

 

博雅「凄いな…この下に…ここと東大寺をつなぐ地下の水の道があるのか?」
晴明「その先までもだよ。吉野もさ」

晴明「ここから送られた水は東大寺の若狭井に着くまで約1年かかると言われているがな。お水送りの十日後にはお水取りが行われる。白と黒の二羽の鵜にちなんで二筋あるという若狭井からその流れは空におよぶ」

晴明「修二会の間、東大寺でお水取りをした夜吉野では必ず大地をゆるがす雷とともに激しい雪や雨が降るのだよ。つながっているのだ。ここから南へ一直線に…」

博雅「吉野までつながっているのか⁉ 本当か?凄いな」
晴明「もっと先、玉置までさ」
 
晴明「玉置は修験の霊峰の一つなのだよ。吉野の金峯山から熊野へゆく奥駆けの道の途中にある。なぜ玉置といわれるかは諸説あるが、宝珠にかかわる地ゆえの名であろう。なぜならあの地はとても微細な波動の地でな。おれの持っていた水晶が水飴のように柔らかくなってしまったからさ。魂の緒も振るわれ常には非ざる状態になる。そのような聖地だから古くから国常立神等を祭る玉置神社があるが、その神域に一本の大樹に四季を凝縮したような神木もある」
 

玉置_陰陽師

晴明「もっと興味深いのは、地中に深く埋まった巨大な磐座の先端だけがのぞいている玉石という摂社があってな。大己貴神を祭り、大神神社の神紋と同じ三本の杉の大樹に守られている。ここは白石という露出した磐座があり、白玉椿の林に囲まれている。このそばに古くから玉置とよばれている郷もある」
 
晴明「そしてな、鵜の瀬と熊野の玉置を結ぶ一直線をちょうど二分する真ん中に東大寺があるのさ。若狭から再生の象徴である春が南下するのだ」
 
博雅「そ…その一直線と、雨乞いとは関係があるのか?」
晴明「その直線状に貴船も賀茂下上社も伏見も東大寺春日大社も石上も、大神神社も吉野もあるのさ」
 
博雅「そ…それはどういうことだ?」
晴明「どこも水に関わる神なのさ」
 
 
 
その他、若狭で気になる所
 
泉岡一言神社 (ご神体の野木山は古代よりの雨乞い祭祀場)
明通寺 (坂上田村麻呂建立)
 
参考サイト
 
 
 

貴船 ★

そして彼らが次に向かったのは貴船。そこの龍神の棲まう霊泉に訪れた。
 
 
 

④室生の龍穴神社 ★

それから室生の龍穴神社。

室生_陰陽師

上までは徒歩で登る。
 

室生_龍穴神社

 

 

 

 

丹生川上神社中社 (奈良) ★

次は三川合流の地、丹生川上。
 

丹生川上

左から三尾川、右から木津川、向かいに見える橋の奥から日裏川。

 

丹生川上2

晴明大和神社(おおやまと)神社の別社となっているゆえ、神官は勅使に随行する時だけ来るのだよ。丹生川上 雨師神…、罔象女神。古くは丹生の女神が祭られていた」
 
晴明「日裏川の橋の奥に東の滝という滝がある。瀬を渡るが気をつけろよ」
 
晴明「滝の上は日裏谷と呼ばれている。上にゆくぞ」
博雅「おお、本当に滝の真上なのか。コワイな、水がどんどん落ちてゆく」
 

 

丹生川上1

晴明はここは吹くべきところだと言って、博雅に笛を吹かせる。

 

 

⑥宮滝 (奈良)

晴明「若狭も水の国だが、吉野も別の意味で水の国なのだ。それゆえ金峯山(かねのみたけ)と呼ばれる。金は水を生じる」

地に流れる水も多いが天より降る水の量もどこよりも多い

だから尾根の上でさえ水の底を思わせる奇岩が並ぶ

吉野から山上ヶ岳までの山全体が龍体なのだ

山上ヶ岳蔵王堂の人の立ち入ることを許されない須弥壇の地下に、地底深くに向かって空いた洞穴、龍の口がある

吉野山は龍の尾

 

そして二人は象谷(さきだに)を登り、水分りの峰に出る。

 

 

吉野水分神社

博雅「最後の瓜を奉納するのは、この吉野なのか?」

晴明「いや、まだだよ博雅。吉野の龍の尾を踏んで勝手の宮からさらに奥へ、南へ下るのだ。龍の口は山上ヶ岳にあるのだが、実は南の日裏にも龍の口がある。その地を流れる川は金峯山系を水の源としていてな。天の川と呼ばれているのだよ、博雅。そこが最終地だ」

 

 

 

⑧天河 (高倉山) ★

博雅「おお、ひしゃくの口から雲がのびて北辰を喰らおうとしている。う…瓜の数と北斗の星の数が同じだが、もしや晴明?」
晴明「人の魂は光を放っていて、辿った跡が軌跡のように残るという話をしたな。これは陰陽道で言う反閇だ。若狭から斗機をひっくり返した形に辿って来たのだ」
 
晴明「実際に出向いて行って場を踏むということは大事なことなんだぜ、博雅。伊勢の地に辿り着くまで生涯を反閇に捧げて、ウェッブ状の結界を歩いて編み上げた倭姫しかり。国覓(くにまぎ)の旅などと言われているが、とんでもない」
 

高倉山

博雅「ここは?」
晴明「高倉山。琵琶山の真南にあって対となっている」

晴明「琵琶山の龍の口を地中…、壺の中の玉とするなら、こちらは山頂の磐座が地上の玉」




ここで瓜割の滝から憑いてきた晴明の頭にいた蛇が高倉山に移る。

高倉山1

高倉山3



博雅は高倉山山頂にある磐座からの霊流を受け止める、一番良いところに立っている。
 
高倉山は天河神社 (天河大辨財天社) の本殿から徒歩10分ほどのところにある「禊殿」というところだそうです。
 
大水害の後に禊殿で古文書が発掘され、高倉山が日本最古の御山であることが記されていたといいます。
高倉山は日本列島が出来た二億五千年前に最初に隆起した神聖な山として、国之常立神が祀られています。
 
 
詳しく教えてくださっているサイトはこちら
 
 

 

この後、本編では内裏が炎上してしまう。
安倍晴明は仙人のおじいさんに「玉置までは行かなんだな」と言われてしまう…というくだりがあります。
 

 

 
最後までお読みいただきありがとうございました!
 

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多声音楽の起源をさぐる 番外編3【グルジア男声合唱 】

 
キリスト教聖歌の影響を受けないでヨーロッパ  (の端っこ)  に存在する 唯一かもしれない多声音楽「グルジア男声合唱」について、忘備録として書いておこうと思う。
 

グルジアの位置

ジョージア(

https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/georgia/index.html)

 

 
ちなみにグルジアとは旧称であって、現在はジョージアと呼ばれるが、グルジア聖歌とのからみもあるので、当ブログでは「グルジア」「ジョージア」両方の呼び名を適宜使用することとする。
 
 

 

多声聖歌であるが、西欧音楽の影響を受けて多声聖歌を形成したロシア正教会ウクライナ正教会や、バルカン半島の諸正教会ブルガリア正教会、セルビア正教会、ルーマニア正教会)等と違い、西欧からの影響とは関係無くポリフォニーを形成し、独自の歴史と発展を経て今日に至っている。
グルジア聖歌も含め、グルジア多声音楽はユネスコ無形文化遺産にも登録されている。(wikipedia より)

 

 

実は、ジョージアの多声音楽(ポリフォニー)は、元々はコーカサスの山岳音楽として受け継がれたものである。

 

コーカサス口承文芸は2500−3000年前には生活に定着していたと言われており、ギリシアの歴史家ストラボン は紀元前 1 世紀にジョージア人の戦士が多声音楽の聖歌を歌ったことを記している。
 
ここでストラボンが記したジョージア人というのは、スヴァネティ地方 に住む スヴァン人であるらしい。
 
スヴァネティ地方のグルジ合唱は、現在も独自かつ古い形を残しているそうだ。
 
 
スヴァネティ地方について詳しいサイト
 
 
 
 

The first recordings in the Georgian Republic Khasanbegura 1907

(グリア県マフヴァネティ合唱団、ギゴ・エルコマイシュヴィリ指揮。ハサンベグラ録音 1907年 )

 

Drinking Horns & Gramophones

 

 

この動画は、アメリカのTraditional Crossroadsから出ている

グルジア共和国での最初の録音  1902-1914 Drinking Horns & Gramophones

に収録されているSP音源より、「ハッサンベグラ」という曲。

 

ちなみにこの曲は聖歌ではなく(おそらく)民謡で、グルジアに対する犯罪のために斬首された裏切り者、ハサンベグ・タブドギリジェ の歴史的バラードと一般的に関連づけられ、グリア州で最も人気のある曲の1つである。

歌っているのはグリア地方の マフヴァネティ (Makvaneti) 合唱団 で、現代のグルジア合唱の最高峰と言われているルスタヴィ合唱団 のリーダーのアンゾール・エルコマイシヴィリ氏の祖父に当たるジゴ・エルコマイシヴィリ氏が率いていたグループ。


ヨーデルのような独特の裏声パートは「クリマンチュリ」と言うそうだ。

 

ZeAmi ブログ さんによると、ロシアの大作曲家・ストラヴィンスキーはこの曲を聴いて「人類の作った最高の音楽」と称賛したそうである。

 

 

youtube で 「 Drinking Horns & Gramophones 」と検索すると、こちらの音源が出てくる。
前述の音源と同じ曲を聴き比べると、微妙に違う…?
詳細は不明だが、こちらの動画はアルバムにある他の曲も多数聴けるようである。

 

 

 

 
グルジア男声合唱の最高峰と言われる ルスタヴィ合唱団 の映像
 
 
 
同じく
 
 
 
 
ヴァシアニアンサンブルによる、美しすぎる宗教歌
 
 
 
Georgian Folk Song Orovela by Hamlet Gonashvili
 
 
ハムレット・ゴナシヴィリ(Hamlet Gonashvili)という往年の名歌手について少し調べてみました。1928年生まれで1985年没、グルジア東部のカヘチア地方などの最も優れた歌い手と賞賛されながら、リンゴの木から落下する事故が原因で、まだ50代の若さで亡くなったそうです。グルジアの作曲家ギヤ・カンチェリ(Giya Kancheli)の第3交響曲は、彼の歌声からインスピレーションを受けて作曲され、初録音のソリストとして登場しています。しばしば "the voice of Georgia"と称され、ルスタヴィ・アンサンブルとの共演もあったようです。ZeAmi ブログ様より)

 

 

 

4世紀のキリスト教導入以前からのグルジア最古の歌 とされる 太陽賛歌リーレ
 
不協和音バシバシで聴きにくいのが、いかにもキリスト教以前の古代の歌という感じである。
 
 
 
Georgian Voices の1時間半にもおよぶドキュメンタリー映像。
(まだ全部見れてません…)
 
 

ジョージア男声合唱

 

ZeAmi ブログ様では Georgian Voices として紹介されているのだが、メンバー名などを照合して確認してみたところ、どうも私が持っているこの 「The Voices of Georgia 」と同一グループのようだ。
 
このCDは現在入手不可能なようで、Amazon ですごい値段 になっててビックリした。
 
CDのライナーノーツには、
「この "The voices of Georgia" は1986年に創立、最初は "Choir of journalists" という名前で活動していた。というのもメンバーの大半が georgian television のスタッフだったから」 
というような事が書かれている。
 
ZeAmi ブログ様ではこのグループは、あのルスタヴィをもしのぐほどの現代のグルジア合唱のスーパーグループのように思える、とまでの高評価をされております。 (* ZeAmi ブログ「Georgian Voices」の記事はこちら >> )
 
 

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こちら、今治市にある音楽ショップの『世界の民族音楽の店 ZeAmi』様のブログは、世界各国の素晴らしい音楽を紹介しておられる素晴らしいブログで、グルジア音楽についてもたくさんの記事を読むことができます。

その中でも特に個人的におススメの記事を 自分の忘備録も兼ねて、こちらにリンクを貼らせていただきます。

ほんとに素晴らしいので ぜひぜひ!

 

アブハジアからグルジアへ

ハッサンベグラ (ルスタヴィ)

グルジアの東部と北西部の歌

Georgie - Chants de travail / Chants religieux

 

たくさん参考にさせていただきました。誠にありがとうございました!
 
そして、お読みいただいた方に、心より感謝いたします。
ありがとうございました!
 
 

多声音楽の起源をさぐる INDEX


 
 
 
 
 

多声音楽の起源をさぐる 番外編2【中世西洋音楽のおすすめ動画】

ノートルダム楽派

中世西洋音楽 とは、6世紀頃から15世紀にかけての中世の西洋音楽を指す。
 
8世紀~10世紀ごろにかけてグレゴリオ聖歌が成立したが、これは単旋律(モノフォニー) であった。
 
その後、多声音楽がどのように発展していったかは 過去記事 ↓ でも書いたが、

hissorisekai.hatenablog.com

おおまかに記すとだいたい以下のような流れである。
 
 
多声音楽は、9世紀にスイスで始まったと言われ、オルガヌムというジャンルとして12世紀以降、ゴシック期のフランスを中心に発展する。
 
サンマルシャル楽派、続いてノートルダム楽派を含むアルス・アンティクア(13世紀フランスの多声音楽)、
アルス・ノーヴァ(14世紀フランス音楽)、
トレチェント音楽(14世紀イタリア音楽)、
アルス・スブティリオル(14世紀末の極度に複雑な音楽)
 
などの様式が挙げられる。

 

中世西洋音楽の多声音楽を調べていく中で、個人的に気に入ったものを忘備録としてアップする。

※年代順です。

 

12世紀頃

ヒルデガルト・フォン・ビンゲン

 

↑ 典礼劇「Ordo Virtutum」 のスコア付き動画です。美しい。

 

 

●レオニヌス(レオナン Léonin) 【ノートルダム楽派、ゴシック音楽】

 

レオナン(またはラテン語でレオニヌス)は、ポリフォニックなオルガヌムの作者として、歴史上最初に名を残した人物。

12世紀にパリのノートルダム大聖堂で活躍した。

 

 

アンサンブル・オルガヌムによるクリスマスのミサ曲。
個人的にめちゃ好きです。
すこしクセのある歌い方がたまりません。
 

12世紀末~13世紀

●ペロティヌス(ペロタン Pérotin)【ノートルダム楽派、ゴシック音楽】

 

 

14世紀

●ギヨーム・ド・マショー(Guillaume de Machaut)

 

 

ノートルダム・ミサ>

こちらもアンサンブル・オルガヌムによる演奏。

このメインボーカルの人の歌がもう、好きで好きでたまらん。

(リーダーのマルセル・ペレス氏 なのかなあ?)

 

 

こちらは同曲のアンサンブル・・ジル・バンショワによる録音。

中世古楽で同じ曲を聴き比べができるのは非常に稀なことだそう。

 

 

14世紀末

●アルス・スブティリオル(14世紀末の極度に複雑な音楽)

 

こういうの大好き。
スティーヴ・ライヒが好きな人は好きだろうと思う。

 

好き…。ずっと聴いてられる。

 

以上。
ポリフォニーの発展期の音楽を見てみました。
 
中世古楽を演奏するグループは今やたくさんありますが、御三家ともいえる先駆者は、以下の3グループだそう。

 アンサンブル・オルガヌム
 アンサンブル・ジル・バンショワ
 セクエンツィア
 
 
 中世の音楽は、もちろん西洋音楽(広義のクラシック音楽)の一部ではありますが、
 実は、まだまだ ヨーロッパ各地域の民族音楽としての側面がとても強い です。

 従って、中世の音楽は、クラシック音楽の延長として演奏してしまうと、
 わけがわからず、また退屈きわまりないものになってしまい、
 逆に、中世音楽専門グループの演奏によって初めて、その真価を発揮する、
 と、いうことになります。

 
 
 
声楽も、今のような歌い方(オペラ調?)のような歌い方が確立されたのは本当に最近だそうで、1000年も前の歌い方は今とは全然違って、きっともっと民謡のような土着の匂いのする歌い方だったのだろうと推測する。
 
なので、私は民族音楽っぽい解釈をしているアンサンブル・オルガヌムがとても好きである。
 
少しコブシが入ってたりして、東洋の匂いがして、多分当時はこんな感じだったのだろうと思うし、そのような深い洞察力に心底感嘆する。
 
(しかし アンサンブル・オルガヌムは中世古楽グループの中ではかなりの個性派と言う位置づけらしい…)
 
 
 
アンサンブル・オルガヌム HP
 
 
セクエンツィア HP
●セクエンツィアWikipedia https://ja.wordofwayne.com/wiki/Sequentia_(music_group)
●ベンジャミンバッグビーWikipedia https://ja.wordofwayne.com/wiki/Benjamin_Bagby
 
 
参考にさせていただいたブログ
 
誠にありがとうございました!
 
 

多声音楽の起源をさぐる INDEX


 
 
 
 
 

多声音楽の起源をさぐる 番外編1 【世界の民族音楽】

世界各地の民族音楽ではどうか?

北欧先住民族サーミの太鼓(北欧サーミ族のシャーマン太鼓)

 

これまで記録がたくさん残っているため西洋音楽を中心に見てきたが、もちろん世界各地に残る民族音楽にも、ハーモニーは存在する。

 

しかし、多くの民族音楽、特に先住民族少数民族に伝わるような古くからあるものは口承が多く、文字などで記録されていないため、その起源をさかのぼることは不可能に近い。

 

キリスト教の影響をあまり受けてなさそうな民族音楽は、圧倒的に単旋律のものが多いように思われる。

 

例えば我が国 日本においても、催馬楽などの古代の歌から 長唄などの伝統的な邦楽まで、基本的にハーモニーはなく単旋律である。

 

ちなみに 最初に教材として挙げたこの本の中では、西洋音楽以外でハーモニーを使って歌う民族音楽として、
 
ブヌン族(台湾)
ボルネオ島の先住民の音楽(ムルット族など?)
ピグミー族(アフリカ)

の3つがあると紹介されていた。
 
では順々に見ていこう。
 
 

ブヌン族(台湾)

 

初めて聴いた時、私には讃美歌のようにしか聞こえなかった。
 
これはおそらくキリスト教を経由した歌ではないかと思う。
 
調べてみると、ブヌン族の人々はかつてはアニミズム的宗教観を持っていたが、1950年前後にキリスト教(主に長老教会およびカトリック)の布教が盛んに行われ、現在8割ほどの人びとがキリスト教を信仰しているとの事。
 
キリスト教化する以前の彼らがどのような歌を歌っていたのか、元来ハーモニーがあったのかは調べてもどうしてもわからなかったので、彼らの歌が古代からであったかどうかの判断は 保留としたい。
 
(ブヌン族について)
 
 

ボルネオ島の先住民の音楽(ムルット族など?)

 

ダンスの動画ばかりで、どうしても歌の動画を発見できなかったが、ムルット族はこんな人々のようだ。

インドネシアの音楽文化と似た感じである。

 

こちらのレコードショップのサイトでムルット族の古い録音のCDを扱っておられたようだ(現在sold out)。

(「LISTEN1」というリンクから試聴ができます)

 

いかんせん、こちらも情報があまりにも少なく、同じくムルット族も現在キリスト教徒が多いとの情報もあり、古代からハーモニーを持つ民族なのかは不明。

 

しかしブヌン族もムルット族も、どちらも首狩りの風習があったという奇妙な符号が不思議である。

(ムルット族について)

 https://wiki2th.com/ja/Murut_people

 

その他、ボルネオの先住民族についてはペナン族に関して言及しているサイトも多数見かけたが、いずれも歌の動画を発見することができなかった。

 

 

クロアチアのクラパ(男声合唱

クラパ(クロアチア語: Klapa)は、クロアチアダルマチア地方で行われているア・カペラ無伴奏)の男声合唱である。

ユネスコ無形文化財(UNESCO Intangible Cultural Heritage of Humanity)にも登録されているが、キリスト教音楽の影響がみられるそうなので、今回は特に取り上げない。

 

 

ピグミー族(アフリカ)

 

ピグミー(Pygmy)は、中央アフリカの赤道付近の熱帯雨林に住む狩猟採集民である。
 
彼らは不思議な民族で、アフリカのかなり広い範囲の地域に分布して存在している。
そして彼らは様々な民族名を持ち、それぞれ異なる言語を話すという。
 
だからピグミー族と一口で言っても、かなり多様で異なる性質を持つ人々のようだ。
 
 
こちらの動画はカメルーンバカと言う民族の動画。
 
ピグミー族のそれは民族の独自性があり、確かに見事なハーモニーであった。
 
 
 
アフリカにはピグミー族以外にもまだまだこうした古代から受け継がれている素晴らしいポリフォニーな歌があるのに違いない。
 
しかし西洋音楽のように記録として残っている訳ではなく、それは時代とともに絶えず変化し続けている。
 
このピグミー族の歌にしても、どれくらい昔から歌い継がれているのか、ルーツはどこなのか。
考えるだけで気の遠くなるような、悠久の時を感じさせてくれる歌なのだ。
 
それらの歌に出会えたことに、心より感謝したい。
 
 
 
最後までお読みいただき本当にどうもありがとうございました。
 
 
 
いちおう次もあります。
番外編、というかオマケです。。。
 
次の記事 ↓
 

多声音楽の起源をさぐる INDEX


 
 
 
 

多声音楽の起源をさぐる 最終章【紀元前~古代文明】

中世から始まり古代ギリシャ文明を経て、ようやく紀元前まで来た。長い旅であった。
 
それでは、紀元前より前の 古代の音楽とはどのようなものなのか?
というか そもそもそれを知る事はできるのか?
 
古代ギリシャ以前にも もちろん文明はあり、そこには必ず音楽があった。
しかし音楽は時間の芸術と言われており、形に残りにくい。
 
楽器は残る。楽譜は残る。
しかし音は残らなかった。
私たちが古代の音楽を知るには、記録された文字を解読するしか 手立てはないのだ。
 
 
人類が最初に手にした楽器は笛だと言われている。
事実、発掘された最古の楽器は笛である。
(打楽器も歴史は古そうだが、原料が皮や木なので、骨を原料とする笛に比べて残りにくいのかもしれない)
 
以下、現在発見されている音楽に関する古代の遺物をいくつか年代順に列挙する。

現在発見されている最古の楽器の例

骨笛

 

●40000年前 マンモスの牙の笛、ハゲワシの骨の笛(ドイツ南部にある石器時代のホーレ・フェルス洞窟遺跡で発見)
 
●紀元前6000年頃 中国の賈湖遺跡から見つかった新石器時代の笛   (上記画像 ↑ )
 
●紀元前3000頃のメソポタミアからも、骨笛などの音楽に関する遺跡が発見されている
 
●紀元前2700~2500年頃 フルートとハープを持った大理石の像 (ギリシャ・ケロス島 / キクラデス文明)
 
 
 
世界最古の楽器と言われる「ネアンデルタール人のフルート」。
それを復元して演奏した動画がこちら ↑
 
 
 

現在発見されている最古の歌

 

以前の記事 にて、現在確認されている "世界最古の楽曲" である「セイキロスの墓碑銘」を紹介したが、次に紹介するのは 世界最古の歌 と言われているものである。

 

ウガリット

 
1950年代初頭、現在のラス・シャムラにあるシリアの古代都市ウガリット で、フルリ語の楔形記号が書かれた音楽に関する粘土板が発掘された。
 
一般に "ウガリットタブレット" と呼ばれるその粘土板の中の1つに、言葉と音楽の両方を含む完全な賛美歌の楽譜 が含まれており、保存されているものとしては世界最古のもの となっている。
 
その歌は「フルリ人の歌」と呼ばれ、紀元前1400年頃、今からおよそ3400年前の、世界最古の歌の楽譜である。
 
 

ウガリットタブレット

 

フルリ人

フルリ人の歌が見つかったウガリットの王宮への入り口。 
 
 
1972年、アン・キルマー教授(カリフォルニア大学アッシリー学部教授、バークレー・ローウィ人類学博物館学芸員)は、15年にわたる研究の末、世界最古の楽譜の一つを書き写した。
 
驚くべきことに、この石版にはハープ奏者を伴った歌手の演奏方法や、ハープの調律方法などが詳細に記されているのだ。
 
この証拠から、キルマー教授と他の音楽学者たちは、この讃美歌を実際に演奏してみた。
こちらの動画からその再現された讃美歌を聴くことができる ↓
 
 
 
 
この「フルリ人の歌」は、古代シリアの土俗神であり 月の神の妻である ニカル ( Nikkal)  への賛美歌である。
歌とハープ伴奏がくさび文字で刻まれており、なんと和声ではないかと言われている(※諸説あり)。
 
 
このような歌があったという事実は、
 
ギリシャを含む古代音楽は和声が不可能であったり存在しなかった
 
という通説を 正面からひっくり返すきっかけを作り、ヨーロッパのクラシックの起源についての概念に革命的な変化をもたらしている。   youtube 解説より)
 
 

歌の言葉

この文章の意味は非常に不明確であり、これまでに一つの解釈しか提唱されていない。
 
私は(神の玉座の)右足に鉛という形で持ってくる。
私は(浄化 ?)し、(罪の意識を)変えます。
 (一度ついた罪は)もはや覆われることもなく、変える必要もない。
生贄を捧げたことで、私は快感を覚える。

 (一旦、私が)(神)を愛したなら、彼女は心の中で私を愛してくれるだろう。
私の持っている供物は、私の罪を完全に覆ってくれるかもしれない。
ごま油 を持参すると、私のために働いてくれるかもしれません。
畏敬の念を抱いて...
                    
不妊の者を肥えさせますように。
穀物が実を結びますように。
妻である彼女は、父のもとに(子供を)産みます。
まだ子を産んでいない彼女が子を産みますように。
 

 

鉛は儀式に使われる金属である。
地下構造物からは鉛の小さな輪が発見されており、これは「冥府への通路」と解釈している。
地下構造物からは、生贄を捧げる際に油を注ぐためのものと思われる小さな容器も見つかっている。
 
(以上、こちらのHPの文章を翻訳サイトで邦訳して転載させていただきました)
 
 
 

また、こちらの動画はリチャード・ダンブリル博士が解釈したウガリットタブレットの旋律をリラ(竪琴)で演奏したものだそうだ。

こちらはかなり音楽的である。

 

 

その他の古代文明

 
ユーフラテス川とティグリス川に挟まれた現在メソポタミアと呼ばれる地域の南部が、シュメールと呼ばれるエリアである。
ここに紀元前3500年~3100年頃に都市文明が発達。
 
使った言葉が分かっている世界最古の民族シュメール人による、シュメール文明 が存在していた。
 

シュメール文明

紀元前3000頃 シュメール文明のウル王墓より出土したリラ  (wikipedia)

 

 

彼らが粘土板に記していた神話に音楽に関わる文が豊富にあった らしいのだが、それが具体的にどのような音楽だったのかは判然としていない。
 
壁画に描かれているので楽器が使われていたことは確かだが、歌に関しては おそらく存在しただろうという感じだ。
 
シュメール音楽の再現の試みもされていないようで、今後の研究が進むのを待ちたい。

 

 

古代オリエント

(オリエントと地中海世界 ©世界の歴史まっぷ)

 

その他、紀元前3000年以前にさかのぼる文明としては古代エジプト文明ミノア文明などがある。
 
ちろん儀式などで音楽が使われていた痕跡のある遺跡 (壁画など) が発見されているが、いずれもどのような音楽だったかは不明。
ポリフォニーだったかどうかは もちろんさらに不明である。
 
冒頭にも書いた通り、音楽は形に残りにくいものだからだ。
 
残念だが、これ以上の追及は難しそうである。
 
 

おわりに

 

 
最初の記事に書いた、テキストとして読んだ本 ↑  から まずはじめに抱いた疑問
 
古代ギリシャ~中世まで約1000年のあいだ、ハーモニーは発展しなかったというのは本当だろうか?
 
はどうやら本当であった。 (ただし西洋音楽に関してのみだが)
 
 
その理由を、どのサイトを見てもはっきりと明言されているものは私には見つけられなかった。
古代ギリシャにおいてすでにピタゴラスがハーモニーを発見しているのにも関わらず、だ。
これは全く不思議なことである。
 
 
素人ながら推測するのは、やはりそれは初期キリスト教の聖職者たちが聖歌への厳格な指導を行ったことに端を発し、時代が変わっても、その後もずっとそれが続いたからであろうかと思う。
 
それはきっと聖職者や支配者層にとってその方が都合がよかったからで、西洋世界においてキリスト教というものが、今の私たちが想像もつかないくらいの強い支配力、影響力を持っていたのだろうか。
 
ただそれが、8~9世紀あたりになって何故とつぜんOKになったのか、さてそれがわからない。
不思議である。
 
 
 
もう一つの疑問であった
 
②この本では 古代ギリシャ以前には まるで音楽が存在しないかのような書き方だが 絶対にそんなはずはないだろう。それでは古代ギリシャ以前の音楽はどんなものがあるのか?
 
については、このシリーズ記事を書くおかげで古代ギリシャ以前のいろいろな古い歌の記録を知れたので、とても満足している。
 
 
 
西洋音楽を中心として多声音楽の起源をさぐってみたが、もちろん世界各地の民族音楽にもポリフォニーは存在していた。
次回、番外編として西洋音楽以外のポリフォニーを紹介する。
 
最後までお読みいただき本当にどうもありがとございました。
 
 
次回はこちら ↓

hissorisekai.hatenablog.com

 
参考にさせていただいたHP
 
誠にありがとうございました!
 
 

多声音楽の起源をさぐる INDEX


 

 

 

 

多声音楽の起源をさぐる その6(古代ユダヤの音楽)

前回の記事で、西洋音楽のルーツであるキリスト教聖歌のルーツのひとつ、古代ギリシャ音楽について調べた。

 

今回はもう一つのルーツである古代ユダヤ、そこではどんな音楽があったたのかを探る。

 

 

前回までの記事はこちら↓

 

 

 

キリスト教聖歌のルーツをさぐれ!(古代ユダヤ編)

最後の晩餐

 

新約聖書には、最後の晩餐で賛美歌を歌ったことが言及されている。

 

記録にも、ごく初期のキリスト教で賛美歌が歌われていたことがみえるが、その言及は詩的もしくはあいまいなもので、この時代の音楽が実際にどのようなものだったかはほとんどわからない。

 

西洋音楽のルーツである現在のキリスト教会の聖歌は、もともと 古代ユダヤ音楽 と 古代ギリシャ音楽 の2つを母体として発展したとされているが、当然ながら キリスト教成立の背景には古代のユダヤ教がある。

 

そのため、ユダヤ教会堂歌の様式の大部分が初期キリスト教に採用され、キリスト教聖歌の成立に大きく関係しているといわれる。

 

また、ギリシャ正教会聖歌、アルメニア聖歌、グレゴリオ聖歌などの歌のうちの古いものは、起源としてユダヤ教会堂歌の型を改作したものと見られている。

 

イスラムが興るまでのユダヤ教シナゴーグの音楽は、初期キリスト教音楽とほとんど変りがないという見解もある。

 

では、新約聖書よりももっと前の、古代ユダヤ教の音楽とはどのようなものだったのだろうか。

ポリフォニーはあったのだろうか?

 

 

古代ユダヤ教の音楽

紀元前10世紀~バビロン捕囚

バビロン捕囚

 

旧約聖書』の記述によると、古代イスラエルダビデ・ソロモン時代(前10世紀頃)では エルサレムなどの神殿において、礼拝や祈祷に伴う音楽と舞踊、戦いの勝利の音楽など、さまざまな音楽が演奏されていたという。

 

具体的には、音楽の始祖ユバルについての記事を筆頭に、預言の音楽、祈りの歌、仕事歌、儀式のための付随音楽、愛歌、哀歌、宴のようす、女性の歌と踊り、音楽治療(*後述)など、この時代を通じての音楽状況に関するさまざまの言及がみられる。

 

楽器では小形シンバル、枠太鼓、リラの類、リード笛、銀製トランペット、角笛(つのぶえ) などの名があげられる。

 

その頃の古代ユダヤ教では歌に楽器が付いていたとされる。
(つまり、東方教会聖歌のような無伴奏聖歌ではないという事)

 

しかし、その歌がポリフォニーだったかどうかは不明である。

 

 

ところで、余談だが個人的には上にあげた旧約聖書の記述にある「音楽治療」が興味深い。
 
こちらのブログ旧約聖書から音楽に関する記述のみを抜き出して紹介してくれているので、その一部を引用させていただく。
 
(サムエル前書(サムエルの書上)
第16章23
神の霊がサウルを襲うとき、ダビド(ダビデ)は竪琴を取って弾きながら歌った。そうするとサウルは心が安らかになって落ち着き、悪霊も離れ去るのだった。
第18章10
その翌日から下った悪霊がサウルに取りつき、家の中で気が狂ったようになったので、ダビドはいつものように弾き歌いを始めた。
 
 
 
音楽療法というか、完全に音楽を使った除霊、悪霊調伏、祈祷である。
 
音楽は目に見えないものに作用するという考えは、古代では世界中に共通する概念だ。
 
 

第二神殿時代(紀元前5世紀頃)

バビロニアからエルサレムに帰還した後、神殿の他にシナゴーグユダヤ教の会堂)という場所を設け、そこでは声楽優位の礼拝が持たれるようになったという。 (参考:Zeamiブログ 「聖書とディアスポラ」
 
ダヴィデ王はハープを弾きながら詩を歌ったことが旧約聖書には記されているが、紀元70年のエルサレム神殿崩壊後、声楽は彼等の礼拝の中に保存され今日に及んでいるのに対し、器楽はユダヤ教の音楽からは忘れ去られていった。
 
そしてまた、以前の記事で書いたように 初期キリスト教でも楽器は異教的なものとして典礼から排除された。
 
キリスト教の成立後、教会において楽器の使用が認められるまで、紀元前以来じつに千年近い時間が必要となったのであった。
 
 
 
ユダヤ教の宗教歌ーシャバト(安息日)の歌
 
 

旧約聖書の音楽

ヘブライ語聖書の最も古い完全な写本である マソラ本文(マソラほんもん)

第二神殿時代に遡る古代のアクセントなどの「音の読み方」を、約1200年前から、その伝統を正確に保存していると言われている。
 
 

レニングラード写本

( ↑ マソラ本文のひとつ、レニングラード写本の表紙。幾何学模様が美しい。)
 
 
フランスの女流音楽学Suzanne Haik Vantour(シュザンヌ・アイク・ヴァントゥーラ)女史は、この写本をもとに数えきれないほどの実験と徹底的な考証を重ね、3000年前のオリジナルの聖書音楽を再現する試みに成功した。
 
その音源がこちら。
 
La musique de la Bible révélée(旧約聖書の音楽)
 

紀元前当時の旧約聖書の音楽を考証、できる限り忠実に再現することを試みた有名なフランスの女流音楽学者 シュザンヌ・アイク・ヴァントゥーラ女史による音源。

 

ハルモニア・ムンディ (Harmonia Mundi)から1976年に出た。(楽譜も出版されている)。

 

La Musique de la BIBLE revelee'

 

 

Suzanne Haik Vantoura - NPR Morning Edition 1986

 

コチラの動画はそれに伴うドキュメンタリー映像のようです。

考証の仕方などを詳しく解説。

 

上の1つ目の動画「La musique de la Bible révélée(旧約聖書の音楽)」のアップ主さんは、概要欄にてこのように言っています。 (*自動翻訳による)
 
 
ハイク・ヴァントゥーラの音楽的業績の驚くべき意義は、もしそれが本当なら、ハイク・ヴァントゥーラが、信じられないほど精神的価値のある壮大な音楽を我々に明らかにしただけでなく、そうすることによって、彼女が、世界の完全な芸術音楽の、これまでに知られている唯一の現存の例-2000年前の古代ギリシャの楽曲「セイキロスの墓碑銘」より多分1000年早く書かれ、古代から完全に原形を保って残っている唯一の音楽-も我々に明らかにしたということだ...。
 

 

 
なんとこの音楽は、以前の記事でご紹介した "現存する最も古い聖歌" とされている「セイキロスの墓碑銘」よりも古いという主張!
驚きである。
 
そしてまた、このシリーズの主題であるポリフォニーの起源についてだが、どうやら古代ユダヤの音楽ではポリフォニー合唱の形跡は見つかっていないようだ…。
 
 
 
 
以上、キリスト教聖歌のルーツである古代ユダヤおよび古代ギリシャ音楽を紀元前までさかのぼって見てみました。
 
やはり西洋音楽におけるポリフォニーは、本の言うとおり中世10世紀ごろからしか存在しなかったのであろうか?

次回はさらにもっと前、古代の遺跡を見てみたいと思います。

 

 

次回はこちら ↓

hissorisekai.hatenablog.com

 

 

参考にさせていただいたサイト

●コトバンク
●音楽史探訪

 
 
誠にありがとうございました!
 
 

多声音楽の起源をさぐる INDEX


 
 
 
 

多声音楽の起源をさぐる その5(3世紀~紀元前)

これまでの調べで、多声音楽の起源を調べるにあたり西洋音楽のルーツである聖歌をたどっていくと、東方(オリエント)に古い形が残されていることがわかった。

 

前回の記事では3世紀~5世紀ごろに成立したと考えられている東方教会の聖歌について調べた。

 

 

前回までの記事はこちら↓
 
 

世界最古の聖歌

さて、私の読んだ本によると「西洋音楽の最も古い形はグレゴリオ聖歌である」と書かれていたことは以前の記事にも書いた。

 

だが 調べてみると、やはり もっともっと古い聖歌があることがわかった。

 

オクシリンコス・パピルス

 

1922年にエジプト中部のオクシュリンコスにて、古代のごみ捨て場の跡から数千点に及ぶパピルス文書が発掘された。

 

整理が進められていくうちに、20世紀になって それまで全く知られていなかったイエスの言葉などが記されたパピルス断片が多数発見され、新約聖書学の点からも注目されるようになった。

 

オクシリンコス・パピルス と呼ばれるそのパピルスの断片には、聖歌や演劇の歌などが含まれており、その中の「パピルス・オクシュリンコス (P. Oxy. XV 1786)は、オクシュリンコスの聖歌と一般に呼ばれ、言葉と楽譜の両方を含むキリスト教東方諸教会)の写本として知られている 最古のもの である。

 

3世紀末のものと推定されている。

 

その再現を試みた音源がこちら ↓

世界最古のキリスト教聖歌
「三位一体の聖歌」(オクシュリュンコスの聖歌)

 

この楽譜はギリシア記譜法で記されており、古代ギリシャから保存されている唯一のキリスト教音楽と言われているが、この賛美歌とキリスト教の聖歌の伝統との関係は明らかでない。


単旋律(モノフォニー) で独唱用である。

 

古代ギリシアの文化がエジプトの都市にどのように受容されていたか、また初期キリスト教を研究するうえでも貴重な資料とされている。

 

Oxyrhynchus Papyri Project

 

オクシュリンコス・パピルスについて興味がある方はこちらもどうぞ。

発掘のドキュメンタリー映像。

 

この他にもすべて英語ではあるが、Youtubeで 「Oxyrhynchus Papyri」で検索すると、このパピルス発掘についてのドキュメント映像がいくつか見ることができる。


というわけで、西洋音楽のルーツであるキリスト教聖歌の歴史を調べるには、現在のところ3世紀までが限界のようである。

 

それでは、3世紀以前の西洋音楽とは、一体どのようなものだったのだろうか?

 

 

キリスト教聖歌のルーツをさぐれ!(古代ギリシャ編)

アテネ

2世紀~紀元前

このあたりから、中世の西洋音楽 のルーツのひとつである古代ギリシャの音楽世界へ入って行くことになる。

 

(注:紀元前2世紀、ローマがギリシャを征服する。しかし古代ローマでは音楽や芸術はそれほど発展せず、基本的には古代ギリシャのものを踏襲した形になっている。そのためここでは3世紀以前は古代ギリシャ音楽ということで統一する)

 

西洋音楽は皆さんご存知のように、古代ギリシャに端を発している。

その痕跡たるや甚大で、音楽つまりミュージックの語源は、ギリシャ語のムーシケーから来ているというほどである。

 

古代ギリシャでは、音楽は数学や天文学と同様、人間にとって非常に重要な「(数学的な)学問」とされていたというのは有名な話だが、現在私達が楽しんでいるような舞台芸術としての側面もあったようだ。

 

古代ギリシャ

 

古代ギリシアにおいては、歌は舞踊を伴う舞台芸術であった。

詩の朗読や劇の上演に際して歌われるものであり、歌のみを単独で歌唱することはなかった ようだ。

 

合唱を意味するコーラス「chorus」という言葉は元々は、ギリシャ語の「χορός」(コロス)という言葉に由来する。

ギリシャ語の「χορός」(コロス)という言葉は、もともとは「踊り」を意味する。

 

そしてそこから、古代ギリシャの演劇で登場する、舞台上で歌と踊りを披露していた12〜15人編成のグループを「χορός」(コロス)と呼ぶようになった。

 

祭祀などの場で広く行われていたコロスの歌や舞踊のなかから喜劇や悲劇が生まれたといわれ、歌は、古典劇においては劇中に登場して劇の進行に大きな役割を果たした。

 

また、コロスのせりふは一般に旋律を伴っていたと考えられるが、その実態はほとんど明らかでない。

 

古代ギリシャでは合唱ではあっても 単旋律(モノフォニー)のユニゾン で歌われていたと言われている。

 

 

では、古代ギリシャの音楽とはどのようなものだったのか?

ちょっと聴いてみましょう。

 


古代ギリシャの音楽 /グレゴリオ・パニアグワ

 

1979年に録音された、古代ギリシャ時代のパピルスや大理石に記された稀少な楽譜から再現を試み、若干足りないところは空想で埋めたという作品。

使われている楽器は、当時の壁画などの図像に基づいて、パニアグワが再現したもの。

 

ミューズへの讃歌/古代ギリシャの音楽
 
 

こちらも古代ギリシャ音楽

詳細不明の音源ですが、コンラッド・シュタイマンの (13:42 - Ekleipsis )が個人的におススメ。

 

Música Griega Antigua (Music Of The Ancient World)

 

古代ギリシャの音楽はさすがに古すぎてほとんど痕跡が残っておらず、具体的にどういったものだったかを知ることは難しい。

私たちが触れることのできる、ギリシャ音楽の最も古いものがこちらである。

 

完全な形で残っている世界最古の楽曲

 

「セイキロスの墓碑銘」

 

セイキロスの墓碑銘は完全な形で残っている 古代ギリシア音楽 世界最古の楽曲である。

 

この旋律は、現在のトルコ・エフェソス近郊のアイディニオンで発見された墓碑銘の歌詞の上に刻まれていたものである。

年代は 紀元前2世紀~紀元後1紀頃 と推測される。

 

古代ギリシアの音楽としては、これより古いものも存在する(『デルフィの讃歌』など)。

だが、短いながらも完全な形で残っている楽曲はこれが最古である。 

 

合唱用の作品としてではなく、独唱用だったといわれている。

つまり、古代ギリシャの音楽は、やはり たとえ合唱であってもモノフォニー(単旋律)のみで、ポリフォニー合唱の記録は見つかっていないようだ…。

 

以上、キリスト教聖歌のルーツである古代ギリシャ音楽を紀元前までさかのぼって見た。

 

次回、古代ギリシャとともにキリスト教聖歌のもうひとつのルーツである古代ユダヤの音楽についても調べてみます。

最後までお読みくださりありがとうございました。

 


次回はこちら ↓

hissorisekai.hatenablog.com

 

 

 

音楽史探訪 - 古代
東方正教会の聖歌と奉神札 - 正教会聖歌の特徴
 
誠にありがとうございました!
 
 

多声音楽の起源をさぐる INDEX